外国の城郭石垣にも興味深いものがあるので、以下にご紹介します

プラハ城と周辺

夜のライトアップに浮かぶプラハ城
夜のライトアップに浮かぶプラハ城

プラハ城は、考古学の発掘調査によればボジヴォイ1世(在位870-894?)によって創建されたとされている。プラハ城は、ボヘミア時代・ハプスブルク家の支配・第2次世界大戦、チェコスロバキア時代から今日のチェコ共和国に至るまでの長い歴史の舞台に出てくる。

プラハには、尖塔が多くあることから「百塔のプラハ」とも呼ばれる。今も古い町並み・建物が数多く現存している。

 

プラハ城は、ヴルタヴァ川(ドイツ語名:モルダウ川)を見下ろすフラッチャヌィの丘にあり、その麓にマラー・ストラナという城下町がある。城と麓との高低差は80mである。プラハ城は、世界で最も大きい城の1つであり、敷地の広さは、東西430m、南北70-140mで細長い形をしている。 

 

城の北側
城の北側
城の北側 丸い塔
城の北側 丸い塔
プラハ城のシンボル 聖ヴィート大聖堂
プラハ城のシンボル 聖ヴィート大聖堂
ストラホブスカー通りの石垣1
ストラホブスカー通りの石垣1
ストラホブスカー通りの石垣2
ストラホブスカー通りの石垣2
ストラホブスカー通りの石垣3
ストラホブスカー通りの石垣3
ストラホブスカー通りの石垣4
ストラホブスカー通りの石垣4

ブラチスラバ城

ブラチスラバ城は、スロバキアの首都ブラチスラバのドナウ川を見下ろす丘の上に立つ。9世紀大モラビア王国時代には宮殿がつくられ、17世紀になってオスマントルコの侵入に備えるため4つの塔が追加・改築されて今のような姿になったとされている。

ブラチスラバ城
ブラチスラバ城
ブラチスラバ城の石垣1
ブラチスラバ城の石垣1
ブラチスラバ城の石垣2
ブラチスラバ城の石垣2
ブラチスラバ城の石垣3
ブラチスラバ城の石垣3