松本城

戦国時代の永正年間(1504~1620年)に、信濃府中に居を構えていた信濃の守護小笠原氏が林城を築城した。その支城の1つとして、深志城が築かれたのが松本城の始まりとされる。

 

その後、甲斐の武田信玄が小笠原長時を攻め、この地を信濃支配の拠点とした。天正10年(1582年)小笠原貞慶が、本能寺の変による動乱に乗じて深志城を取戻し、名を松本城と改めた。

 

天正18年(1590年)豊臣秀吉が小田原城の北条氏直を下して天下統一すると、松本城の小笠原氏は、徳川家康に従って下総へ移り、石川数正が松本城の城主となった。石川数正・康長父子が、城と城下町の整備に力を尽くした結果、松本城の近世城郭として基礎ができた。松本城は、本丸、二の丸、三の丸、内堀、外堀をもつ平城である。

 

現存する天守の建造年については、文禄3年(1593年)、慶長2年(1597年)とするなどいくつかの説がある。400年余の風雪に耐えた国宝である。

 

 

水面に映える松本城
水面に映える松本城
黒門
黒門
太鼓門 
太鼓門 
太鼓門 石垣右端の重量22.5tの巨石、玄蕃石が堂々としている
太鼓門 石垣右端の重量22.5tの巨石、玄蕃石が堂々としている
天守と内堀
天守と内堀
天守の石垣 下から見る
天守の石垣 下から見る
天守の石垣 横から見る
天守の石垣 横から見る
天守の内部1 太くがっちりした木で組まれている
天守の内部1 太くがっちりした木で組まれている
天守の内部2 太い木の組合せは年月(古さ)を感じさせない
天守の内部2 太い木の組合せは年月(古さ)を感じさせない
本丸から見る 左に月見楼、中央に天守、右に乾小天守
本丸から見る 左に月見楼、中央に天守、右に乾小天守
内堀から見る天守 左に乾小天守 右に月見楼
内堀から見る天守 左に乾小天守 右に月見楼
埋の橋と修復中の石垣
埋の橋と修復中の石垣
本丸北東側の石垣
本丸北東側の石垣