二本松城
南北朝時代1341年、畠山高国が塩沢・殿地が岡に最初の居を構え地名を二本松と改め、その後畠山氏7代当主の二本松満泰がこの地に二本松城を築いたのが始まりとされる。戦国時代は片倉景綱、伊達成実、蒲生氏郷、上杉景勝と城代が替わった。江戸時代になって丹羽光重が入城し、二本松城の大改修を行い、本丸の石垣、3重の天守が築かれた。
1868年(慶応4年)の戊辰戦争の際、二本松藩は奥羽越列藩同盟に入り、新政府軍と戦い、藩兵の大半が白河口に出向いている隙をつかれ、二本松城は落城した。激しい戦闘における二本松少年隊の悲話も残っている。
二本松城は、標高345mの白旗が峰に築かれた梯郭式の平山城であり、別名霞ヶ城・白旗城とも呼ばれる。旧二本松藩戒石銘碑や正面から見える美しい石垣とその上の白い壁は目にしみる。