永享3年(西暦1431年)、但馬国守護山名宗全によって築城され、太田垣光景が初代城主と言われている。その後戦国時代から安土桃山時代に城主が変わり、丹波国、播磨国の出入口にあることから、多くの軍事衝突の場となった。
竹田城は、古城山(標高354m)山頂の険しい地形にありながら、曲輪のすべてを石垣で取り囲んだ総石垣の城郭である。穴太衆積みのダイナミックな石垣が当時のまま今も残っている。
穴太衆積みの石垣の中で見つけた素人が積んだ石垣
メモ: * は入力必須項目です