名古屋城
永正15年(1518年)以降、尾張東部は駿府の今川氏の支配下となった。今川氏が尾張進出のために築いた柳ノ丸が名古屋城の起源とされている。天文元年(1532年)織田信長の父信秀が今川氏豊の居城(那古野城)を奪った。 その後、那古野城は織田信長の居城となったが、弘治元年(1555年)信長が清須城(清州城)に本拠を移したため廃城となった。
関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康が、慶長14年(1609年)豊臣方への備えとして、那古野城の周辺に名古屋城を築城した。 大坂城包囲網の構築は、慶長6年(1601年)の膳所城に始まり、二条城、伏見城、江戸城、彦根城、駿府城、篠山城、丹波亀山城などの築城・拡張が行なわれ、姫路城、伊賀上野城、桑名城なども家康の命令を受けた城主により大規模な拡張が行われた。
名古屋城は、濃尾平野を流れる庄内川がつくった名古屋台地の西北端に位置する梯郭式平城である。その場所は平野の北を監視できる軍事的な要地であり、名古屋城築城以前は、台地縁の西面と北面は切り立った崖で、その下は低湿地となっており天然の防御ラインが形成されていた。