姫路城
姫路城の始まりについては、南朝:天平元年、北朝:貞和2年(1346年)に赤松貞範が築城したという説がある。赤松氏時代のものは砦のような小規模なものであった。戦国時代後期に西播磨で勢力をもっていた小寺氏の家臣、黒田重隆などにより初めて築城されたという説もある。
天正8年(1580年)羽柴秀吉が黒田孝高(官兵衛)の姫路城に入り、天正9年(1581年)、本格的な三重の姫路城を築いた。関ヶ原の戦い後、慶長6年(1601年)姫路に入った池田輝政は、秀吉の築いた天守などは取り壊し、石垣などは活かして姫路城を拡張し、慶長14年(1609年)、五重の姫路城を完成させた。
姫路城は平山城であり、天守のある姫山と西ノ丸のある鷺山を中心として、その周囲の地形を利用して城下町を含めた総構えを形成しており、その堀は、姫山の北東麓を起点にして左回りに城北東部の野里まで総延長約13キロの長さになっている。姫路城は日本三大平山城の1つになっている。