江戸城
関東の騒乱で江戸氏が没落した後、長禄元年(1457年)に上杉持朝の家臣である太田道灌が江戸城を築城したのが始めとされている。
天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原攻めの際、秀吉より関八州を与えられた徳川家康が、駿府(静岡)から江戸城に入城し居城とした。関ヶ原の戦いに勝った徳川家康は、慶長8年(1603年)江戸開府した後、天下普請による江戸城の拡張を進めた。その後、諸大名による江戸城の外廓石垣、天守台、石垣、本丸などの増築や修復は幾度も行われ、万治3年(1660年)からの最後の天下普請で、一連の天下普請は終了した。
江戸城は、武蔵野台地の東端にある地形を利用して築城された。山の手側は谷戸をもとに濠をつくったので曲面の多い構造となり、下町は埋立地なので、区画された水路や街並みとなった。多くある石垣は天下普請の時に、伊豆半島から切り出され船で運ばれて来たものであり、それまでは他の関東の城と同じで、土塁のみであったと言われている。