津山城
津山城は、嘉吉年間(西暦1441年 - 1444年)美作国の守護大名であった山名教清が、現在の津山城のある丘陵(鶴山)に鶴山城を築かせたのがはじまり。その後、慶長8年(1603年)森忠政が18万6千石で入封し、城地の名を「鶴山」から「津山」に改め、現在見られる津山城の建設に着手、築城に十数年を要した。
津山城は津山盆地の中央に位置し、城の東側を宮川および天然の断崖を防御線とし、南の吉井川と西の藺田川(いだがわ)を防備の最前線として築城された。
津山城には、①本丸、二の丸、三の丸の3段の高い石垣によって構成、②城内の櫓の数が60以上と多い、③表中門が江戸城、大阪城に匹敵する大きさ、④城の基本設計である縄張り、曲輪、櫓、防御線が極めて巧妙に構築、⑤石垣が原則にもとづきよく考えて手を入れて積まれている、などの特徴がある。城跡は現在鶴山公園となっている。 津山城は日本三大平山城の1つ。