白河小峰城

南北朝時代の1340年、結城親朝が築城して小峰城と名付けたのが、白河小峰城の始まりとされる。天正18年(1950年)この地は会津領となり、蒲生氏、上杉氏などが支配した。


寛永4年(1627年)丹羽長重が城主となり、幕府の命を受け寛永6年(1629年)より城郭の大改築に着手し、寛永9年(1632年)に完成させた。


その後、榊原氏、本多氏、奥平松平氏、越前松平氏、阿部氏と7家21代の城主交代があった。 そして、慶応4年(1868年)白河小峰城は、奥羽越列藩同盟軍と新政府軍との戊辰戦争の激戦の舞台となり、大半を焼失し落城した。

 

白河小峰城は、阿武隈川と谷津田川の間に位置する小峰ヵ岡という丘陵にあった平山城である。東北では珍しい総石垣造りの城であり、盛岡城、若松城とともに東北3名城の一つになっている。

 

本丸西 南側の石垣
本丸西 南側の石垣
本丸南西の石垣
本丸南西の石垣
復元された御三階櫓
復元された御三階櫓
清水門 両側の石垣 東日本大震災に耐えた石垣   数ヶ所に石垣・曲輪の崩壊あり
清水門 両側の石垣 東日本大震災に耐えた石垣 数ヶ所に石垣・曲輪の崩壊あり
特徴ある石の積み方 落し積み
特徴ある石の積み方 落し積み
月見櫓周辺 (東日本大震災で崩落し修復)
月見櫓周辺 (東日本大震災で崩落し修復)
竹ノ丸南面の石垣 東日本大震災で崩壊 滋賀の穴太衆の職人の力を借りて修復の予定
竹ノ丸南面の石垣 東日本大震災で崩壊 滋賀の穴太衆の職人の力を借りて修復の予定
本丸(左上)と月見櫓(右)の石垣
本丸(左上)と月見櫓(右)の石垣
城郭南西 堀の石垣
城郭南西 堀の石垣
石垣修復のために置かれた石 大きな石、小さな石、白っぽい石、黒っぽい石、細長い石、丸っこい石、尖った石、控えのある(奥行が深い)石など様々
石垣修復のために置かれた石 大きな石、小さな石、白っぽい石、黒っぽい石、細長い石、丸っこい石、尖った石、控えのある(奥行が深い)石など様々
石垣の石一つひとつの大きさと形は異なる
石垣の石一つひとつの大きさと形は異なる