高取城

高取城は、14世紀前半に土豪越智氏が南朝の呼びかけで築城したのが始まりとされる。天正8年(1580年)織田信長によって大和国内の城は郡山城一城と定められ、高取城は一旦は廃城となった。

 

本能寺の変の後、天正12年(1584年)筒井順慶が支城網の一つとして高取城を復興させた。天正13年、豊臣秀長が郡山城に入り、家臣本多氏により高取城は近世城郭として完成したのである。江戸時代に入り、寛永17年(1640年)に旗本の植村氏が入城し2万五千石の居城とした。

 

高取城は、奈良盆地の南端、標高574mの高取山の山頂を中心に、急峻な山上の地形を巧みに利用して築かれている。何段にも重ねた石垣や虎口(出入口)、急斜面に守られた堅固な山城である。この要害のおかげで時の城主は幾度も敵を撃退している。高取城は、日本国内では最大規模の山城で、備中松山城、岩村城とともに、日本三大山城の一つに数えられる。

 

高取城は、山上に本来の城と家臣の屋敷地を取り込み、城と城下町の二様相を山城としてまとめた特徴ある形であった。しかし、平和な時代に入り、山上での生活が不便なため、藩主をはじめ多くの家臣が山を降りて生活するようになった結果、城郭と城下町が離れた特異な形となっている。(山麓と城下町との比高差は400m以上) 

 

 

 

 

 

壺坂口門近くの石垣
壺坂口門近くの石垣
大手門の石垣1
大手門の石垣1
大手門の石垣2
大手門の石垣2
大手門近くの石垣1
大手門近くの石垣1
大手門近くの石垣2
大手門近くの石垣2
十三間多門櫓の石垣1
十三間多門櫓の石垣1
十三間多門櫓の石垣2
十三間多門櫓の石垣2
本丸の石垣1
本丸の石垣1
本丸の石垣2
本丸の石垣2
本丸の石垣3
本丸の石垣3
本丸の石垣4
本丸の石垣4